そのに!
連絡を入れた週の日曜日。
「ええと、練習が13:00からだから…、12:30頃出りゃいいか」
上司の代理で告別式に出さされるような憂鬱さと、合コンに行く時みたいな期待感が錯綜する。
「こっから日暮里だと、小一時間ってトコかな?」
テレビからはチューブラベルの響きといっしょにアコーディオンの能天気なテーマ曲が流れてきた。
「ちっと早いけど、そろそろ行くかな?」
「頑張ってね、オーケストラなんてカッコいいジャン!」
「そうかねえ」
ちょっと照れくさい気がしないでもない。
「じゃ、行って来ます」
「帰りは何時頃?」
「夕方には終わるから六時半位には帰れるよ」
「晩御飯どうする?」
「外で食べようか?」
「じゃ、電話して」
「はいよ」
江古田駅までは歩いて10分位だ。
春と言うにはまだ寒い、でもいい天気だし日向はあたたかい。
考えてみればこんな日は内にこもってラッパなんぞブカブカしないで公園のベンチでビールでも飲みながらカップルでもからかっている方がよほど健康的だ。
「オーケストラってどんなカンジなんだろう?」
「クラシックなんて冴えねえヤローが多いんだろうなあ、ヘタすりゃオタクだもんなあ」
「気に入らネーヤローがいたらどうしてやろうかなあ」
「でもやっぱ女の子が多いのかなあ?」
「可愛いコがいるとイイナア」
頭ではメチャクチャ邪な考えが駆け巡る。
なんて事で駅についた。
「ええと、日暮里はと、JR乗り換えだから…」
「池袋からそんなに遠くないや」
電車に乗って窓から外を何気に見る、窓越しからは柔らかい光が差している。
池袋から山手線に乗り換えて駒込を過ぎると東北新幹線と並行する、空も広くなる。
田端、西日暮里、日暮里の順で停車する、長年の不明点が解消された。
電車を降りて改札に向かう。
「北口の改札改札…と、ありゃ?」
「常磐線の連絡通路かよ、せっかく階段上ったのに」
だまされた気持ちがしてなぜか不愉快になる。
しかしここで一人不機嫌になってもしょうがないので案内を見ながら改札を探す。
ホームから見ると北口の改札は反対側だ、はるか遠くに階段がある。
「ぜんぜん違うじゃねーか!」
なおさら不愉快になる。
しかしそこに行かなければならない。
スコットやアムンゼンの苦労が少しは分かるような気がした。
しかし、僕が改札に到達しても誰も誉めてはくれないし歴史に名を残す事もない。
理不尽な気持ちで改札を出る。
左、谷中墓地。
右、日暮里。
谷中墓地かア、谷中といえば江戸情緒あふれる風情のあるトコだよなあ、寛永寺とかがあって根津、千駄木も近いなあ。
下町ってカンジかなあ。
ちょっと期待して階段を降りる。
しかしその期待は見事に裏切られた。
まずくて有名なラーメン屋で麻婆メン、それも大盛りでおまけに餃子までつけてしまったような気まずさがふつふつと湧き上がってくる。
「なんだよココ?」
「こ、こりゃまるで」
なぜかダンテの神曲を思い出した。
「こりゃあ、コアなトコだ」
土地の高低とモラルが比例している。
戦後、焼け野原になった街を行政はなんの計画もしなかったのだろう、どう考えてみても合法とは思えないような建築物ばかり建っている。
その後あわてて規制したのだろう、中途半端なビルばかりで不動産価値も地元が思っているほど高くはなさそうだ。
どうせなら徹底的に野放しにして香港の九龍城並にすればカッコもついたのだが。
「練習場所は、ええと、日暮里ひろば館か…」
さえない名前。
ロータリーを横切る。
大きな紙袋を両手に一杯持って歩いているおじさん達がやたら目につく。
あとは一目でその筋とわかるような生き物。
そして足立ナンバーのベンツ。
きっと真っ当に入手した人は一握りなのだろう。
あとは、どんな手を使ってでもそれに乗りたかった人達が血と涙を流させて入手したのだろう。
なんだか子供の頃遊んだ人生ゲームの、ストップ!決算日!で賭けに負けちゃったような気がしてきたなあ。
交差点を越えて住宅地に入る。
普通ならボヤで済むような火事でもここじゃ大火事になりそうなくらいミッチリと住宅が密集している。
その中に「日暮里ひろば館」はあった。
「ここかあ、まあ駅からは近いからいいよな」
施設利用案内を見る。
「ヘナチョコ管弦楽団1階レクホール」
スケールを練習している音が聞こえてくる、期待感が膨らむ。
ドアの小窓から中を覗いて見る。
「……」
管楽器ばかりだ。
部屋間違えたかな?これは吹奏楽団だろう、もう一度案内を見に行く。
「ヘナチョコ管弦楽団1階レクホール」
レクホールは他に…、ないな。
「って事は…?」
中学生の時よくやった他人の単車を直結で乗ってっちゃう、地元では怖くて有名な先輩の単車をやってしまった気分になってきた。
再び小窓をよおっく覗いて見る。
よく見ると沢山の管楽器の向こう側にヴァイオリンがいる。
「2人?」
チェロもいる。
「ひ、1人?」
コントラバスも。
「1人かよ、おい」
僕のイメージしていたオーケストラとはケタ違いだ。
麻婆メンを運んで来たおやじの親指がスープの中に第一関節まで突き刺さっているのを見てしまったような失望感が広がっていく。
「やられた」
募集要項をよく読解すべきだった。
弦楽器というのはあまりいないのか。
その上クラリネットは5人、トロンボーンは4人、ホルンは6人もいる。
「いやいや、今日はたまたま来ていないのだ、アマオケだもんな、いろいろ団員にも都合はあるもんな」
そおっとドアを開けて入る。
棒を振っている奴がこっちを見る。
気配を感じたみんなが振り返る。
餃子をタレにつけたら皮だけ残って中身が全部小皿に落ちてしまったような気まずさが走る。
「ど、どうも、この間連絡した見学の安達です」
すかさずラッパを吹いていた男の子が声をかけて来た。
「あ、安達さん、お待ちしてました、どうぞこちらへ」
「は、はあ」
席を促してくれる。
「今はまだウォーミングアップなんですよ」
まあいいか、こっちもちゃんと音出すのは3年ぶりくらいだ。
「はい、それでは続けます」
指揮者が偉そうに言う。
うわー、キライな顔だなあ…、あのメガネがすごくイヤ。
それに訳のわかんないベンツのバックルやめてくれよ。
下Cから上っていく。
そうか、吹奏楽じゃないからB♭じゃないんだ。
「はい、もっと音程気をつけて、お互いに聞きあって、もっとしっかり!」
「うるせえなあ、コイツ」
「はい、じゃあ1の和音」
「1の和音?」
なんだかよくわかんないけど適当に吹いてりゃいいか。
「はい、じゃあ次」
ひとしきりそいつに威張られて休憩。
ふう、指揮者っていうのは偉そうなもんだ。
「あ、どうも安達さん、僕は小出と申します」
「ああどうも、よろしくお願いします」
「すいません、まだまだ弦楽器が少なくて、でも今日はバッチリ!全員出席です!珍しいんですよ、こんな事は」
え?ええ〜〜?じゃあ普段はどうなんだよ!
それに反して彼はとっても誇らしげな顔だ。
何をどう解釈したら弦楽器4人をこんなに誇ることができるのだろう?
トロンボーンの人の良さそうなおじさんが近づいてきた。
「はじめましてェ、トロンボーンの村木ですう、事務局やってますウ」
「はじめまして、安達です」
「ちなみに音楽は友達を見ていらしたんですか?」
「ええ、そうなんです」
「ほー、結構効果あるんだなあ、あれ」
「でも村木さん、安達さんだけですよ、まだ」
小出君が嬉しそうに言う。
「小出君よかったねえ、仲間が増えて」
「ええ、まあ」
なんだ?こいつ、あんま嬉しそうじゃねえなあ。
すると物腰のなよなよした、30代位のおっとりとした男性が入ってきた。
誰かに似てる…。
さっきのいけ好かない威張ってる奴と交代した。
みんなが起立する、つられて僕も起立した。
「よろしくお願いしま〜す」
「みなさんこんにちは〜、先週はどこまで演りましたっけ?」
スコアをパラパラとめくる。
「あの人がうちの指揮者、形山さんって言うんですよ」
「???????」
指揮者?じゃあさっきの奴はなんだ?
「さっきのは?」
小声で聞く。
「ああ、さっきの人は谷風さん、トレーナーなんですよ」
「トレーナー?」
指揮者でもねえ奴に威張られていたのか?俺は?
心の奥から言いようもないどす黒く熱い気持ちが湧き上がって来る。
あんな奴の言うこと聞かにゃあならんのか?これから。
きっと僕は凄い形相になっていたのだろう。
「あ、安達さん、どうしました?」
小出君が不安そうに声をかけて来た。
指揮者も心配そうにこっちを見ている。
ハッと我に返って愛想笑いをする。
「い、いや何でもないんだよ」
「そ、そうですか?」
しかしその後僕の人生の中で、そのヤローを仕損じた事をこんなに後悔することになるとはまだ僕はわかっていなかった。
続く(いつ載るって?さあ、それは…ねえ)