そのいち!
1993年。
まずくて有名なラーメン屋で麻婆メンを頼んでしまったような後悔。
そして気まずさを兼ねている気持ちでかけた電話の答えはもちろん、おおはずれ。
「あの、すいません、広告を見て電話したものなんですが」
考えて見れば僕が電話をしたのがウイークディの真昼間だ、出た奴って何物?学生?
「はい、パートは?」
受話器の向こうから、よくある先物取引の営業電話を受けてしまったような雰囲気が伝わってくる。
「トランペットなんです」
「トランペット…ですか?」
さらに声のトーンが落ちて行く。
「はい」
「経験は?」
面倒くさそうに聞いてくる。
「ええ、20年位…でも、結構ブランクが…」
ブランク、と言う言葉で安心したのだろう。
「じゃあさあ、良い音楽スタジオ紹介してやっからさあ、そこ行きなよ」
いきなり声がゾンザイになる。
「あ、あの…」
「池袋のねえ、ええっと、電話番号は…」
「あの…、見学とかは…」
「03の、ええっと」
「あの…ちょっと…」
「3963の…」
この時に何かが僕の心から弾け飛んだ。
「おいこら、ちょっと待て!!!!こら、お前人の話聞いてんのかさっきから?コラ」
「え?」
「さっきから人が下手に出てりゃあ調子こきやがって小僧!」
「は?」
相手がいきなり動揺したのがわかる。
「ラッパは募集してんだろ、お前んトコのオケは!」
「は、はあ…」
「だったら見学にいらして下さいとか何かの言葉はねーのかよ!」
「い、いや、…」
「このガキャ、こっちはテメーんちの電話番号押さえてんだぞ!」
「…」
「コノヤロ、アマオケでなあ、入団希望者には丁寧に説明すんのがお前の仕事じゃねーのか?コラ!えっ?●●?」実名
「…」
「何様だあ?テメーは?●●!」実名
「…」
きっと彼は生まれてこのかたそんな電話は受けた事がないのだろう、とり返しのつかない事をしでかした子供のような鼻息が聞こえてくる。
「電話じゃあ話になんねーや、これから行くぞ!お前んトコ!」
鼻息がどんどん荒くなっていく。
「は?い、いいや、それはちょっと…」
「それはちょっとってなんだ?お前は。何かあんのかよ?あ?」
「…」
「バカが、住所まで書いてあんだからな、これから行くから待ってろ!」
彼はやっととんでもない状況を巻き起こしてしまった事に気づいたようだった。
でも、彼からしたらとんでもない事に巻き込まれてしまったと思うのだろう。
「す、すいません、トランペットはもう決定してしまったんですよ」
宿題を忘れたペナルティで校庭を10周走らされてしまった生徒のような声だった。
彼は産まれてはじめて正当な断りの話をしたのだろう。
「あ?」
「すいません…」
ドリンクを頼まずに安いクロワッサンを飲みこんでしまったような声だった。
「だったら最初からそう言やいーじゃねーか、何偉そうにしてんだよ?コラ」
「はあ」
「はあ…じゃねーんだコラ!さ・い・しょ・からそー言やいーんだろ?このバカが」
「…」
「お前なあ、こら●●(実名)何様だか知んねーけどよ、これから道歩いたり、駅のホームで電車待ってる時には後ろに気をつけろよ、楽器ケース持ってる時はな!いつ起きるかわかんねーから事故って言うんだからよ!わかったかコラ!」
「…」
ガチャン!
産まれて初めて心底緊張感のある電話を経験した彼は受話器を置いてどう思っただろう。
「このやろ!何かでからんだら容赦しねえからな!」
なんてこっちも色めきだってしまった。
その後そいつの名前でピザを10枚注文してやった、当然の報いだ。
僕はその筋の人間ではない。
でも…。
僕がアマチュアオーケストラに入ろうと決心した最初の洗礼がこれだった。
ある日。
ある有名なクラシック専門の音楽雑誌に掲載されている「募る」のコーナーを見るために本屋に行って立ち読み。
きっとクラシックファンにはお楽しみの企画記事が一杯掲載されているのだろう。
街を一人で歩いていたらただの老人にしか見えないような指揮者の表紙がフランスのファッション誌のように美しく見える。
最初は買うつもりで見ていたのだが、だんだん700幾らが惜しくなって、一応店内を見まわしてそのページを「ビリッ!」
だいたい高校生がバイト探しのために本屋でやる常套手段を久しぶりに使わせてもらった。
昔はなんとも思わなかったのだが30代ともなるとやはり心臓に悪い。
仕事の都合もあるので、なるべく近い所を探す。
「ええっと、新宿、しんじゅく…、と」
「ああ、あったあった」
その後は前述したとおりだ。
しょうがないから活動日が手頃でやオーディションがないところを探す
ヘナチョコ管弦楽団団員募集
募集パート
弦楽器全般
木管楽器全般
金管楽器全般
打楽器全般
活動日 毎週日曜日
活動場所「日暮里」
「よく考えてみりゃ全部?……?」
一瞬、再びまずくて有名なラーメン屋に入り込んでしまった気持ち。
「にっぽり?」
「はて?確かに地名は聞いたことあるけど、どこだったっけ?」
池袋からの山手線の駅を数えてみる、田端まではすんなり行けるがそこからがあやふやになる。
田端…日暮里、西日暮里…いや西日暮里が先か?それから鶯谷、上野…?
とにかく京成スカイライナーで行ける上野以外では貴重な駅だ。
「まあいいや、とりあえず電話してみよう、さっきみたいな受け答えしたらこの世に生まれて来た事を後悔させてやる」
こっちも最初に不愉快な思いをしているので、ちょっと強気に行こうとする。
「はあい、●●です」実名
「あ〜もしもし?●●さんいらっしゃる?」実名
一時期の地上げ屋のような話し方をする。
「あ、はい…私ですが…」
あ、緊張してるな?
「“音楽は友達”を見て電話したんだけどねえ」
「本当ですか!あ!ありがとうございますう!」
本当に嬉しそうだ、さっきの礼儀知らずとは大違いだ、本来、問い合わせの電話の応答とはこうでなければいけない。いや、こうであるのが当然なのだ。
「トランペットなんだけどねえ」
嫌がったらどうしてくれようか。
「ええっ!ありがとうございますう!是非一度見学にいらしてくださいませんか?」
あ、ありゃ?やけに丁寧じゃんか。
「いつお伺いすればよろしいですか?」
「今度の練習に是非!楽譜も用意しておきますから!」
「は、はあ」
「楽器はお持ちですよね!」
「は、はい、持っています」
「じゃあ今度の土曜日にお待ちしております!」
「じ、じゃあ」
「あ〜!!!!すいません!お名前は?」
「安達と申します」
ガチャン!
あれ?何だか拍子抜けしちゃったなあ、かえってバカにされたような気も…。
これが僕のオーケストラ喜劇の柿落としになるとは僕自身、気づかなかった。
そのに!に続く